【距離スキー顛末】
距離スキーの県の強化指定選手になっていた。
山スキーの類推から競技スキーでアルペンは選手層が厚く無理なので、距離スキーに挑戦していた。
県大会には二度出た。
県大会とは埼玉県在住の北国出身選手の同窓会で夜中まで騒いでいた。
埼玉県出身選手は寝ずにスキーの手入れをしていたが、雪国の選手には歯が立たなかった。
小生も真面目にワックスを掛けた。
レース当日、気温と雪質に併せて靴底の部分には止めのワックスを塗る。
妙高高原の笹ヶ峰では年末、日本スキー発祥の高田の連隊のノルディック選手が牧場小屋に野営して練習していた。
バイアスロンかもしれないが鉄砲は背負っていなかった。
年末になると雪上車の迎えで帰る。国体のバイアスロンでは、銃器の管理に自衛隊の不寝番が立つらしい。
埼玉県のノルディック強化指定選手で冬休みは八幡平の温泉で埼玉県の高校生と合宿した。
八幡平には、いろんな学校が来てシーズン始動の足慣らしをしていた。ここにも自衛隊は来ていた。
有望選手はトーセンキョウ(陸上自衛隊冬季戦技教育隊)にスカウトされる事など教えてくれた。
岩手の酒はどうも口に合わなかった。
県民に苦情を言うと、南部杜氏の文化があって、酒はドブロク自家醸造で、市販の酒など、あまり飲まない習慣だそうです。
ガンダイ(岩手大学)のコンパでもそれを持ち寄るとの事。
やがて、中越のノルディックコースもオープンして転戦。
新潟の酒は水みたいにごくごく飲めてよろしい。
新潟ではスイスイ登る小学生に抜かれていた。
雪面の小さな窪みを見つけて、そこを足場にスキーを置いて、止めのワックスを効かせて登って往く。
こっちはその推測が出来ませんから支点を得られず恐る恐る登る感じ。
結局、埼玉県の教員対象のデモスキーの講習合宿には参加する事ができました。
【笹ヶ峰のクロカンスキー】
妙高笹ヶ峰で、春先ウロコ付きのクロカンスキーを使えば、積雪期に二三日掛かった行程も日帰りで、走り抜けます。
登りのジグザグはシール登行より密なジグザグの繰り返しになりますが、早いですから。
降りは股制動、杖制動と奥義を尽くします。