私の資格・経歴

経歴
(在職期間、勤務先、従事した職務内容・実績等)

○(株)CSK ※現:SCSK

昭和55年9月~昭和57年9月
※大川功の薫陶で店頭公開体験
※ビデオリサーチ社視聴率集計
※広告の価値決定過程を体験
※視聴率とは、企業広報担当が広告出稿の際に代理店と組んで上役説得に使う材料。
※人力大型汎用機体験
※初期のPCのソフト開発及び営業
※日米貿易摩擦におけるROM輸出
※アントレプレナー起業体験
※コンピューターが機能する基本的仕組みを理解する事が出来る。
※「湯川専務」が上司だった。

○教諭及び講師:埼玉県公立中学校

昭和57年9月~平成3年3月
※ガラスが無い中学での適応過程。
※教育困難校なので、何でも、好きな教育実験が許される自由教育体験。
※全て教材は手作りで対応。
※クラスキャンプを春夏秋冬海山に実施。
※結婚して子どもも居たが、キャンプを学ぶ為に退職、進学。

○ 講師:筑波大学付属桐ヶ丘特別支援学校(肢体不自由児静的弛緩誘導法)

平成5年4月~平成12年9月
※筑波大学大学院院生として障碍理解について訓練を受ける。
※素晴らし過ぎる先生方に教えられた。
※生徒は優秀な先生に囲まれて、国体に出て卒業後は社会福祉法人の職場に進む進路選択を奨める現場体験。ハンデを付けつつ様々な障がいを持つ子どもとやる週一回の混合サッカーは楽しかった。正職には成らなかった。成れなかった?

○都教委講師

平成4年1月(1992)~平成20年3月(2008)
《指導最困難校》
当時、都立高校で最下位が確定した足立東で講師をした。ビリだった葛飾区の水元高が廃校、ビリ争いの足立新田高が校長の経営努力で浮揚してきたからである。
日比谷高校と同じカリキュラカリキュラムでは魅力があるはずがない。都立高校教員とはカリキュラムに通暁した貴族と言える。
窓ガラスがない中学に適応している私は座席表を作って全員指名。教科書はプリントにしてリアクションペーパーにコメントを記入して毎回提出。評価とコメントを記入して毎回、返却。 ここで授業が成立すれば、サル山も授業できると言われていた。
自身の中学生時代及び中学教諭時代由来の単元学習の体験から国語のプリントは毎回、コメントを書いて提出、プリンントの観点別の評価欄にチェックしてコメント付して返却。この成果物提出、「リアペ」やり取りは分野は違っても、高校、大学の講義・授業の基本。
また、罫紙、ワークシート、作文、レポート、試験結果など、学習者がアウトプットしたものすべて成果物は「ポートフォリオ」単元ノートとして提出。
また、都立戸山高校定時制では、『濹東綺譚』がテキストであった。
※総じて底辺高校・定時制高校で教育困難な生徒対象の取り出し授業を担当。識字教育や自閉症児童の療育や中国帰国子女の師弟の教育に当たった。

○ 助手:日本体育大学

※冒険教育の第一人者の英国王室由来の (財)日本アウトワード・バウンド協会OBS事務局長の木谷尚史氏にキャンプ指導のスーパーバイズを受ける。その後数年間、教員根性を根底から覆され続ける。

○関東学院大学保健体育講師

《有酸素運動テニスについて》
足立東高校では高校生を師にテニスを徹底的に学んだ。高校生コーチ及び週二回のテニススクールで学んだ内容を関東学院大学保健体育の初心者テニスで教えた。
その後も、ラリーを重視した初心者テニス指導には自信がある。小生は未だにテニスのルールを知らない。ラリーが続いた組が勝ちと云うローカルルールで実技を進め、サービスで途切れないテニスを有酸素運動とする事に成功した。
テニスの練習はサーブに始まる無酸素運動を激しく行い、脚部の負傷も多い。
テニスのラリーをコミュニケーション的に続けるカーディオラリーはテニス系のニュースポーツとして普及させる価値がある。

《授業時間割内における野外活動》
野外活動の実技は時間割内で校舎脇の運河のタイヤチューブ利用のラフトによる夏島往復や海蝕崖の岩登りとラペリング等に挑戦した。 また、サービスプログラムで鷹取山で岩登りやラペリングを行った。

○事務局長:社団法人日本オートキャンプ協会:家族キャンプ·生涯スポーツ普及促進事業

平成12年9月〜平成18年12月
※日本宝くじ協会の支援で以下の事業に精進した。
▲普及促進事業(1千万円/年)北海道から沖縄まで、ファミリーキャンプにおけるキャンプイベント開催、キャンプ教室、キャンプ場従業員教育合宿セミナー、キャンプ場経営者セミナー等。
▲代々木国立競技場の露天で事務局2名で代理店を使わず国交省後援キャンプイベント事業の企画運営及び出展営業。出展対象:クルマ·キャンプ用品·キャンプ場etc.
▲出版事業(1千万円/年)キャンプ入門書、キャンプと危機管理、leisureAbility、四季のキャンプ実践等について執筆及び編集。オートキャンプ白書執筆。
▲トヨタ、ホンダ等にキャンプに関する冊子の広告出稿及びキャンプイベント出展の営業を行い、度々成功をおさめる。

○ 講師:体育実技:早大ワンダーフォーゲル

5泊6日
授業名:早稲田大学 スポーツ実習ワンダーフォーゲル(野外活動)
2tトラック積込み夜間移動
《前日スタッフ準備》
《初日》サイクリング→キャンプ場CD1
木登りロープワーク→滝ラペリング
《2日目》サイクリング→次のキャンプ場CD2 湖ダム湖でラフトボート活動
《3日目》サイクリング→沢登り ※デポ自転車クルマで移動サイクリング→キャンプ場CD3 ナイトハイク15km 12時ゴール
夜食ケーキ ※百キロハイク経験者が多い。
《4日目》休みフリー
《5日目》サイクリング→海浜活動·PFD着用遠泳→セミナーハウス
《6日目》海浜活動:スノーケリング及び水中フィッシング→振り返り発表解散
以上、南房総の森と海を使ってレンジャー体験をしていた。鴨川の航空自衛隊基地に飛来するch47がキャンプサイトに集積してある自転車、ロープ、ラフト、簡易ベッド、テント、ヘルメット、PFD及び軍用でもある大型ヘキサゴンテントを注視して通過していた。

○ 講師:日体大,生涯スポーツ論

体育大学生に生涯スポーツとプロスポーツのあり方について、議論して進めた。

○講師:帝京大

余暇論:観光論として、講義した。
障害者スポーツ論:今までの、様々な障がいの機序について、参加可能なスポーツの検討、弛緩誘導法について等々
参考資料:…https://sites.google.com/site/tkyokaron/-cang-pin-kang-fu-chong-ying-dong-bei-buno-min-su-dengniyoru-jiao-liuwo-zhong-shishita-su-po-xing-tai-rento-rento-zi-ranno-jiao-liu-1
《倉品康夫》沖縄東北部の民宿等による交流を重視した宿泊形態ー人と人と自然の交流ー

○『職歴』講師:都教委講師

平成4年1月(1992)~平成20年3月(2008)
※総じて底辺高校講師や教育困難な生徒対象の取り出し授業を担当。識字教育や自閉症児童の療育や中国帰国子女の師弟の教育に当たりました。
自閉症障がい児のインクルーシブのセラピーの現場も担当しました。
障害のある子どもの地域社会への参加及び包容(インクルージョン)については、子どもは社会の中でのみ発達すると考えます。中学校教諭の現場では、地域的に当たり前の事でした。

○『職歴』:区教委講師

平成20年(2008)9月~平成22年(2010)3月
千代田区立中学校講師
平成22年(2010)4月~平成27年(2015)3月
○区費講師:中央区立銀座中学(少人数クラス)平成22年4月~平成27年3月
※少人数講師として5年間、教育困難な児童対象の取り出し授業等を担当。謡を教材化。
※浦和の教員時代に引き続きで5年間、背格好から生徒に混じって組体操をしました。浦和では、もっと高いピラミッドを組んで、一瞬でペシャンコになる技やもっともっと高い塔のてっぺん以外は全ての段をこなしました。組体操の当事者体験はないのにギャアギャア云う教員は本当に嫌われます。

○『職歴』:パート職員

平成27年(2015)11月~平成28年(2016)3月
特別養護老人ホーム 介護業務支援
※資格:介護職員初任者研修。
※エセンシャルワークの基礎を習得。
※保育所就職の為に退職。

○『職歴』:パート職員

平成28年(2016)4月~平成30年(2018)3月
指定管理者保育所
保育補助としてフリー的に保育所マネジメント、施設管理及び地域社会貢献について体験。ステップアップの為に転職。

○平成30年(2018)4月~令和3年(2021)3月

『職歴』:福祉法人保育所パート
保育士として、小規模のたてわり保育を体験。エセンシャルワークの方策について、看護士といろいろ研究。好待遇を求めて転職。

○令和3年(2021)4月~令和4年(2022)3月

『職歴』:保育士 会計年度職員
区立保育所で公立保育体験。多量な人員が仰山に関わる運営形態、公立保育のあり方について、勉強しました。次のステップアップを期して転職。

○令和4年(2022)4月~令和3年(2023)3月

『職歴』:資格:放課後児童支援員
会計年度職員
区立小学校内で公立放課後児童支援体験。いわゆる学童保育について体験しました。放課後児童クラブと放課後子供教室の一体的な実施の推進等について示唆を受けました


○『職歴』:大学講師

平成19年(2007)4月~現在
帝京大学
※レクリエーション論、障害者支援スポーツ論及びスポーツ実習講師

○体育実技講師:帝京大学

スポーツ実習(野外活動)キャンプ
里山の自然と田んぼを使ったキャンプ。
《参考》 野外で『うまい飯を炊く』調理法の検討ー飯盒炊飯を負の歴史から考えるー
《参考》地域研究:里山キャンプを考える
https://camping.or.jp/archive_and_download/data/13752.html
《参考》キャンパス近くの自然を活かした活動及び重層的な指導システム
https://camping.or.jp/archive_and_download/data/14045.html
《参考》実践報告 コンピテンシーとキャンプ-デイキャンプを通してコンピテンシーは育成できるか-渡邊・倉品
https://camping.or.jp/archive_and_download/data/20552.html

《参考》トレーニング論
正座の苦痛克服法は…「そんきょ」にあり
https://www.tokyo-np.co.jp/article/183858
《参考》仏教とスポーツ人


赤坂中学校 柳律子先生について
大村はま先生の高弟でした!

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柳律子先生と大村はま先生の関係

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柳律子先生のご病気の手当てを遅らせた最後の担任のクラスに小生は居ました。先生の最後の決断で、12群から11群の日比谷・九段・三田高校のグループに挑戦する事になりました。その結果、毎朝、大村益次郎の銅像を仰ぎ、高校に通う事が出来ました。

 

不肖クラシナは国語教員としては柳先生の衣鉢を継いだ事になります。

浦和の教員の時は、大村はま先生の会で勉強しました。
大村はま先生が登壇されて質問を受ける際に、質問者の執拗さに先生がキレて仕舞うことがありました。質問者も明日からの授業に、即、役立つような枝葉末節なテクニックを聞きたがります。
「そんな事はあなたが寝ないで、生徒の作品と向き合えば解決するのです」みたいな、回答です。小生は質問者を可哀想に思いました。自発性を重視する単元学習では授業体験者でないと理解出来ない部分があります。多分、大村はま先生も柳律子先生も大正自由教育の残滓に触れられているのです。
大正時代にジョン・デューイは日本に来て、成田十次郎・初代市立一中(九段高)校長などがデューイ研究をしています。
先の大戦後に米国から教育使節団が来て、デューイ的実践が日本で行われているのに驚いたと云います。心ある教員は容易く、大正自由教育の思い出しが可能だったのです。

小生の読書生活指導について
倉澤は大村実践とは、豊富な資料を扱いつつ、他の言語諸活動と溶け合った長大な「単元」 による読書生活指導であると云います。
筆者は中学生として、1960年代後半からの大村はま国語教室の読書生活指導『読書』単元を学習し、更に教員として読書生活指導を専門領域としました。
小生は中学生時代の単元ノート(ポートフォリオ)を保存していたので、それをそのまま授業で使いました。授業では、昔の赤坂中学校の生徒の意見を元に、浦和の子ども達が議論をしました。タイムラグは15年位でしたが、教材の完成度が高いので、授業の中では、30代のおじさんは中学生として扱われていました。

野外教育における読書指導について
「野外活動百冊の本」-野外活動を楽しむ-(『月刊社会教育』国土社.1994-05)を執筆し、野外教育における読書案内の基礎的資料としました。

https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R000000004-I3559756-00/

「野外活動百冊の本」

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