【岸町に住む40年前】
浦和の中学校の教員になって、妻の職場は銀座だったので、真ん中辺りの王子に住む事にしました。岸町2丁目に家を借りました。夫婦でそこから週ニ回月木で国立競技場に通いました。
やがて、岸町1丁目に引っ越しました。息子が生まれ、小生は中学校を辞めて、大学院生になりました。息子は保育所に通い、そこの園長は大学のクラブの先輩でした。
【保育所仲間との出会い】
暇なので、午前中は保育所に居て、改築工事の穴など掘っていました。土日は保護者仲間と本格的に工事を手伝いました。地域における「実践力」について勉強しました。毎週、仲間と完璧に荒川でBBQをしてました。
【クライマー·クレーマーとの出会い】
少し息子が大きくなると、石鍋さんに出会いました。息子も小生も弟子入りしました。地域の事を教わりました。
今でも弟子です。先日も「石鍋さんに早く区長になってくれ」と頼みましたが、まだ家業が忙し過ぎるようです。
石鍋さんは昔は谷川岳に通う「クライマー」でしたが、今は北区で一番の「クレーマー」を目指しています。地域の問題点を見つめ、地域の将来を考えて、区役所に乗り込み上手くクレームして政治活動します。
弟子の小生は同じ観点から、陳情と云う手段で政治活動の枠組みを考えた次第です。
【夏祭りの少年の問いかけ】
ある夏祭りの町内巡行。王子権現下で、休憩中、ある少年の問いかけです。「どうしたら、僕もお神輿が担げるの?」
ここから、考えました。何故、よそ者の私が担げているのか?
【神輿を担げない子どもがいてはいけない】
私鉄が開発した新興住宅地の子どもは農村地帯の鎮守神の神輿を担ぐ術を知りません。また、伝統文化を重視する町の神輿も移住者には門戸を閉ざします。
【煤煙匂う工業地】
「煤煙におう工業地」と旧王子中学校校歌にあります。更に「自治協同」と「勤労の汗を尊ぶ」と続きます。北区は全国から人が集まる勤労者の街なのです。区長も東北から来た人です。北区は移住者に開かれた地域の特徴を持ちます。
「煤煙」はけむいけど「自治協同」環境や「勤労の汗を尊ぶ」思想を共有する住民が一緒につくりあげてきた品格が小生でも神輿を担げる地域の土徳と考えます。
【祭で悪ふざけをした北区職員】
先程の神輿担ぎに関しては、地域住民に開かれたお祭りについて北区に提案しました。
区役所の職員2名が町内の神輿巡行で悪ふざけをしたので、注意して、区役所にクレームしました。そこから提案もしました。祭には地域の信金の職員が参加します。直会(なおらい:祭事が終わってから神酒・供物を下げていただく宴会)にも付き合ってくれます。以前は警備のお巡りさんもいました。
【地域イベントを支える信金職員】
さて、北区への提案でしたが、「祭の巡行イベントと災害時の対応は紙一重です。職員を各町会に派遣して体験を住民と共有するのは職員のあるべき姿かも!と云う要望でした。※北区の法被があっても良いかもしれません。確か回答は休日だから無理みたいなものでした。信金さんは本当に偉いと思いました。地域ヲは支えると云うプライドがあります。
【私と狐の行列】
狐の行列とは「装束を整えて、王子稲荷にお参り」するのが趣旨なのです。そこで当事者である岸町一丁目で、いろいろな大人や若者や子どもに正しく紋付き羽織袴を着ける着付けを30年くらい前より担当しました。
小生は謡の家元の稽古は勿論、普段の稽古でも、坊さんの事もあるので着物は週二回は着ろと師匠に言われています。
着物を日常着付けていないと、ドアノブに袖口が取られたり、蝋燭で袖が焦げたりします。中学校の古典の授業は着物でしました。
現在、岸町一丁目には各位の尽力で10人くらいは「装束を整えて、王子稲荷にお参り」出来る用意があります。
大晦日に酒を飲んでいると、「早く着付けに来い!」と呼び出しが掛かります。