街中が連呼の洪水。選挙期間の候補者も、市民生活の邪魔になり「うるさい」ことは、理解しても、他にやる事がないのでしょう。
一様に「毎度お騒がせして…お詫び…」と葛藤を伝えます。
有権者が候補者の名前を選挙カーを通じて繰り返し聞くことで、「熱心な政治家だ」と評価されるとの期待·願望が強いようです。
「候補者が政策を説明するための街頭・駅頭演説」は、候補者の政策を認知する大事なチャンスです。
ところで法律から読み取れる選挙カーの目的は候補者の演説先へ移動。
その移動の途次(ついで)の行き掛けの「駄賃」の仮の手段ですが、名前の連呼は構いませんよ、と云う内容です。
しかし、移動の「駄賃」の連呼が演説より目的化してしまいました。
連呼を止めせるには懇切な政策の具体的説明責任を果たせる枠組み作りと、政策の具体的実現性を示さない連呼候補者には投票しない!と云う社会的合意コンセンサスが必要かもしれません。
政治活動の具体的提示は、連呼にうんざりして失望している市民に、投票参加の動機づけを与えると考えます。
方丈記
私の立ち位置『方丈記』『方丈記』から学ぶ事は、長明のSDGs的態度です。これは災害に対応する自助努力と同義です。
琵琶湖の大学で野外教育と『方丈記』を発表後、方丈庵を尋ねるべく、日野に向かいました。
琵琶湖の大学で聞けば危うく近江の日野を教えれましたが、日野資朝の方の日野に行けました。
地元の人や地元の図書館に聴いても方丈庵の場所ははっきりせず。諦めて入ったうどん屋さんで判明。
ご開山親鸞の日野誕生寺から程近いところでした。ご開山に引かれて、方丈庵巡り!ご開山生誕は1173年。
南都焼討の平重衡が処刑前に日野で妻の輔子が再会したのが1185年。
長明が日野に住んだのは1211年からでした。
平安末期、鎌倉初期、日野でいろいろあったのです。
『方丈記』から学ぶ事は、長明のSDGs的態度です。これは災害に対応する自助努力と同義です。